院長紹介DIRECTOR
私たちが常に考えるのは
患者様の本当の幸せ。
私たちが常に考えるのは
患者様の本当の幸せ。
はじめまして。院長の田嶋です。当院では、患者様との対話を大切にしながら、患者様の将来を考えた治療をするよう心がけています。患者様に「ここに来て本当によかった」と感じてもらい気持ちよく帰ってもらうために、スタッフ全員で力を合わせて治療に取り組んでいます。
治療についての専門は、機能を考えた噛み合わせのみならず、身体の軸となる頸椎から腰椎のすべてのつながったその人その人に合ったバランスの良い状態を患者様と一緒に考えることです。そのうえで、小児から高齢者にわたって骨格診断をふまえた正確な診断を行い、治療においてはただ歯を治療するだけでなく、全身の健康を考えた根本的な解決を実現していきます。
私は、オーストリアの咬合学の権威であるルドルフ・スラビチェック教授のもとで、最新の咬合学を修め、2010年帰国いたしました。ヨーロッパ をはじめ、中東、アジア、USAからと世界中から歯科医師が集まるオーストリアクレムスにありますDanube University(ドナウ大学院大学)にて、Master of Science(マスター・オブ・サイエンス)を取得した、唯一の日本人歯科医師でもあります。
ドナウ大学院大学、包括歯科医療技術講座では、世界中から集まるスラビチェック教授のコースや講演を一部担当させていただき、多くの講義、実習をスラビチェック教授とともに世界中で行ってまいりました。特にコンピューターを用いた顎機能運動検査(キャディアックス)はスラビチェック教授とともにヨーロッパ各国でコース、講演会に呼ばれ、みなさまにご満足いただきました。
2010年の日本帰国後の現在も、日本のみならずヨーロッパ各地で講演活動をさせていただいております。まさに、教えることは学ぶこと。今後も健康に関して様々なことを学び、日々の臨床に活かし、信頼ある歯科医院を目指していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
まずはじめに、私には患者さんを診療していく上でこだわりが3つあります。
これらは歯科医師になってから自然に身についた考え方ではありません。
私自身が患者として苦しみ、人生が大きく変わる経験をしたからこそ、大切にするようになった価値観です。
ここでは、その原点となった出来事についてお話ししたいと思います。
それは、オーストリア・ウィーン留学後に患った一つの病気のことです。
私はそれまで、病気というものには全く縁のない生活を送っていました。以前の私は、人間とは非常に強い生き物だと勘違いしていたのです。
しかし、その後の壮絶な体験を経て、人間とは扱いを誤ると簡単に壊れてしまう存在なのだと痛感しました。
私は歯科医師として、顎口腔機能の診断学をオーストリアの大学院で学び、七年かけて主任教授のもとで専門的に習得してまいりました。
患者さんの「今どこに問題があるのか」を把握することの重要性は、十分理解していたつもりでした。
診断がなければ、治療目標も治療計画も立てることはできません。
自分が今どこにいるのかわからなければ、進むべき方向も決められないのです。
私は診断とは「ナビゲーションシステム」だと考えています。
しかし、自分自身がその「患者側」の立場になるとは思ってもいませんでした。
今振り返れば、本当に貴重な経験でした。
患者さんがどれほど痛みに耐えているのか、そして痛みが時に人の性格までも変えてしまうことを、自分自身で体験することになったのです。
事故とは、木から突然リンゴが落ちてくるようなものかもしれません。
私にも、その日は突然やって来ました。
その日は、イタリア北部での講師依頼を受け、ウィーンから車で八時間かけて移動した日でした。
ホテルに到着後、慣れない部屋のアンバランスな椅子と机で、夜通しプレゼンテーションの確認をしていました。
翌日は、一日中スーツと革靴で立ちながら講義を行い、無事にコースを終えることができました。
しかし翌朝、目を覚ますと体が曲がらないのです。
まるで体が板のようになり、ベッドから起き上がることすらできませんでした。
最初は過緊張によるものだと思っていましたが、明らかに様子がおかしかったのです。
なんとかチェックアウトまで横になり、車でウィーンへ戻ることにしました。
体が曲がらないため車に乗り込むことさえ一苦労でした。
シートを目一杯後ろに倒し、激痛に耐えながら運転しました。途中何度も休憩を挟みましたが、痛みが強すぎて道中の記憶はほとんど残っていません。
数日後には少し改善したものの、それ以来、私は常にインドメタシン湿布と共に生活するようになりました。
大好きだったテニスもほとんどできなくなり、知人のマッサージを何度も受けました。
しかし、その施術はどれも「体を柔らかくして前に曲げる」ことが中心でした。
その後、日本へ帰国することになりました。
大量の段ボールを運ぶ引っ越し作業は、腰痛を抱える私にとって非常に過酷でした。
帰国後は実家の歯科医院で父とともに働き始めましたが、常に痛みとの戦いで、仕事に集中できませんでした。
やがて、まともに歩くことも、走ることもできなくなりました。
一人で外へ出ることが恐ろしくなり、家内に支えてもらいながら外出する日々が続きました。
痛み止めの効果が切れると、腰の激痛で頭が真っ白になります。さらに右足が思うように動かなくなり、歩行も困難になりました。
あまりの苦しさに、「この痛みから解放されるなら」と、死を覚悟したことすらありました。
そのような状態では満足に仕事もできず、私は一年間仕事を休むことになりました。
そんな時、私に一筋の希望の光が差し込みました。
家内のお腹に、待望の赤ちゃんが宿ったのです。
私は「自分の赤ちゃんを抱きたい」という一心で、リハビリに集中しました。
私は有名な整形外科を次々と受診しました。
湿布や痛み止めを処方され、麻酔科ペインクリニックでは硬膜外注射も何度も受けました。
昼は国立公園をふらつきながら歩き、夜はマッサージを受け、常に痛み止めを飲み続ける毎日でした。
四カ月が過ぎた頃、私は医師に尋ねました。
「私はいつ良くなるのですか?」
しかし返ってくる答えは、どの先生も同じでした。
「いつか良くなるから、あきらめず頑張ってください」
症状は、一向に改善しませんでした。
ある時、高名な整形外科医からこう告げられました。
「これ以上改善を望むなら、最後の手段は外科手術です。来週までに返答をください。」
失敗すれば、半身不随や車椅子生活になる可能性もある手術でした。
追い詰められていた私は、その決して確実ではない最後の選択肢に手をかけようとしていました。
そんな時、知人からある治療法を紹介されました。
「その痛みに効く治療法があるらしい。試しに行ってみたら?」
どうせ駄目なら最後に一度だけ――そんな気持ちで予約を入れました。
そして私は、ある先生と出会ったのです。
その先生は、私の苦しみに真剣に耳を傾け、真正面から向き合ってくれました。
私は直感的に、「この人なら何とかしてくれるかもしれない」と感じました。
そこで初めて知ったのです。
治療とは薬だけではなく、「その人の状態に合わせた運動を、正しい診断に基づいて処方すること」なのだと。
私は、自宅で汗だくになりながら、必要以上と思えるほど真剣に取り組みました。
すべては、生まれてくる赤ちゃんのためでした。
すると一週間後、驚くべき変化が起こりました。
以前から記録していた痛みの評価表を見ると、痛みが半分以上も減っていたのです。
「ついに見つけた。これだ!」
そう確信しました。
自分で生み出してしまった痛みの原因を理解し、それを自分自身で改善していく。
これは、あらゆることに通じる大切な考え方だと思っています。
その後、私は再び走れるようになりました。
大好きだった仲間とのテニスにも、積極的に参加できるようになりました。
仕事にも集中できるようになり、一日を通して診療に向き合えるまで回復しました。
さらに海外での学会活動や発表にも積極的に参加できるようになり、日常生活を不自由なく送れることの幸せを、以前にも増して実感しています。
そして何より、生まれてきた我が子をこの腕で抱けた時――。
私は、さまざまな意味で深い感動を覚えました。
彼女の存在こそが、私に再び立ち上がる力を与えてくれたのです。

現在も私は、再発防止のプログラムを継続しています。
痛みを繰り返さないためのケアを欠かさず行っています。
今回の経験を通じて、人間は「壊れやすい」のではなく、「壊しやすい」存在なのだと学びました。
だからこそ、診断が重要なのです。
自分がどこに立っているのかを誤れば、進むべき方向も間違ってしまいます。
そして私は、術者だけが主導する治療ではなく、患者様とともに歩みながら改善を目指す「術者患者共同型の治療」が大切だと考えています。

「やってみせ言って聞かせてさせてみてほめてやらねば人は動かじ」
「一歩一歩がんばるがんばる。きっといつかはてっぺんてっぺん」
テニス、スキー、馬術、ハイキング、キャンプ、水上スキー、ウェイクボード
歯科医師免許、第二種歯科感染管理者、公認スポーツデンティスト、二級船舶免許、乗馬技能認定 馬場&障害1級
《 日本顎咬合学会での講演の様子 》
他にも多数の学会、団体で歯科医師向けの講演をおこなっております。
■ 雑誌掲載